[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
自宅に到着するとピアノの音が聞こえていた。普段家でピアノを弾く奴がいないので、新たな同居人だろう。
気に入らない顔を少しでも見ないようにバカンスをしていた俺は旅行も終わって久々に自宅のドアを開ける。その音に気付いたらしくピアノの音が止まる。その部屋から出てきた軽い足音が俺を出迎える為に近づいてきた。
「よぉ。」
目の前に現れた相手は俺のことを確認するなり驚いたような瞳を向けた後、ドアの前で固まった。どうやら俺がここに住んでいることを知らなかったらしい。
気に入らねぇ。
新しい同居人、ローデリヒ・エーデルシュタイン。昔からこいつの事は気に入らなかった。理屈なんかなく、ただこいつの顔を見てると無性に組み伏せたくなる衝動に駆られる。国としての向上心?他の国相手にそんな気持ちにはならないのに、とにかくこいつを見てると押さえつけて服従させたくなる。
昔から抗ってどんなに痛めつけても弱音ひとつ吐かなかったローデリヒ。そんな彼が今や俺達の保護下にあるのだ。顔も見たくなかった奴だがそう思うと笑えてくる。
これから楽しくなりそうだぜ。
同居生活が始まってから、俺の最近の日課はお貴族様に仕事をやることだ。
「おい、坊ちゃん。今からこの部屋を掃除しろ。俺様が帰ってくるまでに塵ひとつでも残ってたらピアノは弾かせてやらないからな。」
膨大な量の書庫を示す。ヴェストに掃除するように言われていたが、人気者の俺様には暇な時間など無い。しばらく掃除をしていなかった部屋はひどく埃っぽくなっていて、出しっぱなしの本で溢れている。この量を今日中に片付けるのはまず無理だ。
「わかりました。」
澄まして応える坊ちゃんだが、俺様の出す課題を未だクリアしたことは無い。
俺はお貴族様を部屋に残して遊びに来ている筈のヴェネチア―ノちゃんを捜しに行った。
相変わらずヴェネチア―ノちゃんは可愛い。この可愛さをあの澄ました坊ちゃんにも分けてやりたいくらいだ。
俺様が坊ちゃんに無理を承知で雑務を言いつけるのは、単に嫌がらせをしたかっただけではない。俺様の真の目的は坊ちゃんが俺に泣いて許しを請う様を見ることだ。
俺様は坊ちゃんの情けない顔を想像して密かに笑みを浮かべた。
次の日もその次の日も俺は坊ちゃんに仕事という名目で雑用を押し付けた。どれも決して一日で終わることのない量だ。そしてその命令には最後に必ず条件が付く。
「仕事が終わるまでピアノは弾かせてやらないからな。」
当然雑務が終わることなどない。ローデリヒのピアノの音はこの家に帰ってきたあの日以来聞くことは無かった。
深夜。友人達との飲み会も終わりを告げて帰路に就く。その道すがらアントーニョの言葉を思い出す。
「なぁ、ローデリヒまた細なったんちゃう?」
「そーかぁ。」
あの時は気のない返事を返したものの、確かにアントーニョの言うとおりローデリヒの細い体はさらに痩せていた。いささか無理をさせすぎだろうか。
少し罪悪感が芽生える。
そろそろピアノを弾かせてやろうか。
明日の夜は坊ちゃんを休ませてヴェストと3人でゆっくり飲もう。
「飲まないと言っているでしょう。」
「お止めなさい、ギルベルト。」
折角の誘いも坊ちゃんの断りで台無しだ。ヴェストからは仕事が長引くという連絡が入ったので2人きりだ。
嫌がられると余計にやりたくなるのが普通だろ?俺は嫌がる坊ちゃんに無理やり酒を飲ませた。
俺様は酒に強いが坊ちゃんはその見た目通り弱かったらしく、酒が入った途端心ここにあらずだ。
酔っぱらうことは大体予想していたが酔った坊ちゃんがどんな醜態を曝すか実は楽しみにしていた。しかし目の前のローデリヒは普段と変わらない様子で隣に座っている。
面白くねーな。
新たにジョッキにビールを注ぐ、再び顔を上げるとローデリヒの顔に雫が零れていた。
どんな時でも毅然と振る舞っているローデリヒが泣いているなんて、酔っぱらっているにしても衝撃的だ。
お貴族様の涙なんて初めて見たぜ。
綺麗だと思う。無意識に指が頬を撫でていた。
「泣くな。」
「泣いてなんていません。」
どうやら自覚は無いのらしい。その答えとは裏腹に涙は増えていく。その様子を見て不覚にも愛しいと思った。ずっと違う感情で隠していたというのに。
「私が人前で泣くわけがないでしょう、お馬鹿さん。」
「じゃあこれは何なんだよ。」
「知りませんよ。」
さらに涙が頬を伝う。
「もういい、ローデリヒ。我慢するな。」
その様子が痛々しくて、頭を引き寄せて抱きしめる。
「よくないです。ずっと昔に泣かないって決めたんですから。」
「…そうか。」
ローデリヒの無表情な顔を思い出す。
そこでようやく気付いた。こいつが無表情なのはずっと一人で我慢するしかなかったからだ。
「だって…ピアノが弾けないんです。」
ローデリヒの奏でるピアノにはいつも心が宿っている。ローデリヒの苦しみも悲しみも音が救っていたのだ。今ローデリヒが泣いているのは他ならぬ自分のせいだ。
「俺が悪かった。」
ずっと言いたかったことが、言葉になった。
「泣いてもいいぜ。」
俺が受け止めてやるから。
「私からピアノを取ったら何も無くなってしまいます。」
「もう私には何も残っていないのです。」
名前も住むところも。それは他ならぬ俺たちが奪ったものだ。
それなのに最後にローデリヒを救っているピアノでさえも俺は触れさせなかったのだ。
自分が求めていたのは涙ではない。本当は自分を頼ってほしかっただけだ。
それを知っていながらずっと自分を偽って言葉に出せなかった。
「俺達が居る。お前を守ってやるから。だから…」
ようやくこの感情が何なのかわかった。今なら伝えられる。
「ずっと俺の側に居てくれ。」