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突然後ろから抱き締められる。少し驚いたけれど、その感覚に身体は慣れつつあった。こうして抱き締められるのは酷く心地いい。
「ローデリヒ、好きやで。」
そう言って彼は真っ直ぐ私の目を覗きこんだ。
「ローデリヒは?」
そのエメラルドに引き込まれてしまいそうで、思わず視線を逸らす。
「お馬鹿さんが。」
好きだなんて、とても言えない。
急いで仕事を片付けて視察という名目でアントーニョ邸に訪れる。手元にはこの日のために厳選した素材で作ったスミレの砂糖漬けとリンツァートルテ。それからクグロフ。
甘党な彼ならきっと喜んでくれるだろう。その顔を思い描くと心が浮き立つのがわかる。
スペインにあるアントーニョの邸宅に訪れると、そこには既に先客がいた。
「フランシス、ここに何の用です。」
あえて不機嫌さを隠そうともせずに問いかける。
「あちゃー。」
アントーニョは何の予告もなく突然現れた私の姿を見て、しまったという顔をした。その表情にチクリと胸が痛む。
彼は私になど会いたくないのだ。
邪魔なのは自分の方だったのだと気付いたけれど、勢い込んで自ら怒鳴りこんだものだから、この状況はどうしようも無い。
「友人はお選びなさい。」
何も答えない2人に居たたまれなくなって、その場所から逃げ出した。
真っ直ぐに自室へと向かう。
部屋に入ると途端に膝から力が抜けてその場に座り込んだ。
アントーニョが私と居るのは自分の意志ではない。彼は嫌々この婚姻を受けたのだ。判っていたはずなのに忘れたふりをしていたのは、彼があまりにも優しかったからだ。
そんなことをぼんやりと考えていると、控え目にドアがノックされた。座り込んだまま呆然としていた私は立ち上がる気力もなく、無言で床を見つめる。
私の返事を聞くことなく、静かにドアが開く。誰が入ってきたか確認するまでもなく、そうやって勝手に入ってくる人物は一人しかいない。
床に座り込んでいる私を見て、アントーニョが慌てて腰をかがめた。
「ローデリヒどうしたんや!?」
「何でもありません。」
素気なく答える。そんな可愛げの無い言葉は出てくるというのに、立ち上がる気力は全く出てこない。これではアントーニョが不振に思っても仕方がないというものだ。
次の瞬間身体が持ち上げられていた。アントーニョに背中と膝の後ろを持たれて椅子へと運ばれる。
「!?」
「調子悪いんやったら無理しなや。」
そう言って優しく頭を撫でられて、近くにあったブランケットを膝にかけてくれた。
「ケーキ作ってきてくれたの、一緒に食べような。」
優しく微笑みかけてくれる笑顔に先ほどまでの沈んだ気分はすっかり消えて、幸せを感じた。貴方が優しいから、忘れてしまうのです。
フランシスは毎日ここに来ているのでしょうか。
そう感じたのは昨日に引き続き今日もフランシスと顔を合わせたからだ。思い返せばアントーニョに会いに来た時、彼が家に居たことが多々あった。
「貴方毎日ここに来ているのですか?」
「んー?まぁね。」
その肯定の答えにイラッとする。いくら家が近いといっても自分の知らないところで毎日この家に通っているなんて納得いかない。
「嫉妬した?」
言い当てられたことに更に不機嫌さが募る。腰を掴まれて引き寄せられる。意識していると思われたく無くて、あえて抵抗はしなかった。
「お兄さんに嫉妬しなよ。」
「誰が貴方なんかに。」
近くなった目の前の顔を睨む。
「体まで繋いだ仲だしね。」
抵抗しないのを良いことに、頬に手が添えられる。
「あれは…っ、貴方が無理やり!」
私が怒っているのを見て目の前の顔が楽しそうにニヤける。からかわれているのだ。そう気付いて頬に触れている手を払いのけた。
「アントーニョは貴方には渡しません。」
「そのうち手に入れるよ。勿論、お前ごとね。」
静かなにらみ合いが続く。目を離せば負けになるような気がして、逸らせない。先に逸らしたのはフランシスだった。
「今日はこれで帰るよ。」
そう言って頬に素早くキスされた。
アントーニョと婚姻を結び長い歳月が過ぎたというのに、戦争は尽きることが無い。しかしローデリヒ自らが戦場に赴くことは無かった。それにアントーニョは強い。だからローデリヒはいつも安心して待つことができた。
しかしその日帰ってきたアントーニョは見たことも無い程の深手を負っていた。
「アントーニョ!?」
寝台に横たわったアントーニョは呼びかけても返事すらしない。既に医者の処置は済んでいるものの、白い布に包まれた身体からは更なる血が出ているらしく赤く染まっていて、何時もは日に焼けて活発そうな顔も死んでいるかのように真っ蒼だ。
聞けば一命は取り留めているということで、今にも死んでしまうのではないかと思っていた為、少し安心した。
一騎当千と謳われているアントーニョがこれ程の深手を負うなどということは、普段なら考えられない。兵士に何故このようなことが起こったのか尋ねる。
「アントーニョさん、最近調子悪かったんです。」
「どういうことですか?」
そんなことは一言も聞いていない。
私に体調が悪いことを伝えず、戦場に赴く彼の姿を思いだす。記憶の中の彼はいつも笑顔で戦場に赴いていた。
「身体が思うように動かへんって言ってはりました。」
「そうですか…」
私たちの体は国の状態によって左右される。アントーニョのこの状態はハプスブルク家の崩壊が彼の内部にまで影響を及ぼしているからだ。
私は何故そのことに気付かなかったのでしょう。ずっと側にいたのに、何と不甲斐ない。貴方の苦しみも知らず戦場に赴かせていたのですね。
嫌々ながら私と婚姻関係を結び、私にそのことを伝えることも出来ず笑顔で耐え続けていた恋人を哀れに思う。
私は貴方にとって信頼するに値しない存在だったのでしょうね。
私が不甲斐ないから、こうして貴方は死人のようにベッドに横たわっているのだ。
信頼するに値しないと思われて当然ですね。
そっとその冷たい手を握る。このままでは、貴方が消えてしまう。
「早く目を覚ましてください。」
次に目を覚ました時には、貴方を自由にして差し上げますから。
アントーニョの怪我の回復は目覚ましく、今では元気に歩きまわっている。それでも大事をとったほうがいいという上司命令で、ゆったりとした休暇を過ごしていた。
目を覚ました彼に婚約破棄したいと申し出たものの、冗談として流されてしまった。
アントーニョに海に行こうと誘われて人気の少ない街並みをゆっくりと歩く。彼からの提案で一緒に手まで繋いでいて。
こんなふうに二人でゆっくりと外に出ることが初めてで新鮮な気持ちになった。
彼が私に見せたいと言っていた海を眺める。
その日はとても楽しくて、幸せな夢を見ているようだった。
でも、それも終わりにしなければならない。彼を失いたくなかったから。
夜も更けて家に戻った瞬間口を開いた。
「ありがとうございます。アントーニョ。」
「貴方とは今日で別れます。」
「何でや、ローデリヒ。」
婚姻を解消したいと申し出た私に意外にもアントーニョは喜びを表さない。それをまるで他人事のように不思議に思いながら、彼が傷つく言葉を紡ぐ。
「貴方甲斐性無しですから。」
私は彼の身体を抱きしめる。
「では、また。」
それはいつもの別れの挨拶だった。
アントーニョの家を出ると、頬を涙が伝った。
「アントーニョ、好きです。」
いつもの相談。常ならば愛しい恋人の口説き方を教えてもらっているのだが、今日の内容は普段とは違うものだった。
「フランシス、俺甲斐性無いって振られてもーた。」
項垂れていると、小さく溜息が聞こえる。
「お前ほんと鈍感。」
どういう意味かと視線で問いかけると、フランシスは話そうか逡巡した後口を開いた。
「ローデリヒはお前を助けたくて別れんだろうよ」
「悔しいけど、あいつはお前のことが好きだったからな。」
まったく、こんな鈍感の何処がいいんだか。お兄さんの方がよっぽど大事にするのに。などと聞こえたような気がしたが最早頭には入っていなかった。
ならばまだチャンスはある。
「俺決めたわ。」
否、最初から本当は決まっていたのだ。
「絶対迎えに行くって。」